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数学、ときどき統計、ところによりIT

理論と実践の狭間で漂流する数学趣味人の記録

テンソルがなかなか理解されない3つの理由

大学の理学部(数物系)、工学部などの出身者であれば、テンソルという言葉を少なくても1度は耳にしたことがあると思います。重要な概念にも関わらず、どうしてテンソルは理解されないのか、その原因について考えてみたいと思います。

いろいろなテンソル

テンソルと最初に出会うのは、全学共通科目(昔でいう教養科目)の力学に登場する慣性モーメントテンソルあたりでしょう。専門学部(理学部の物理学科や工学部)に進むと、電磁気学の電磁場テンソル、連続体力学や構造力学の応力テンソル、一般相対論のアインシュタインテンソル、場の量子論のボソンフォック空間やフェルミオンフォック空間と至る所に登場します。数学では代数学幾何学解析学、分野を問わず登場します。統計学でも多次元の確率変数のモーメント*1を定義するのに必要となります。また最近では機械学習の分野でも見かけるようになりました。

このように八面六臂の大活躍をするテンソルですが、理解するのに難渋するユーザー泣かせの概念としても有名です*2。その原因は主に3つあるように思われます。

 

原因1:複数の定義が存在する

原因の一つ目は(見かけ上)定義が複数存在することが挙げられます。現在、書店で購入できる書籍やネット上の講義資料で見られる定義で主なものは次の3つです。

  1. 基底の取り換えに伴う成分の変換規則によるもの、
  2. 多重線型汎関数によるもの、
  3. 普遍性によるもの。

定義1は物理(連続体力学・一般相対論など)や工学等で良く使われている定義、定義2は主に微分幾何学や一部のベクトル(テンソル)解析の書籍で見かける定義、定義3は代数学やそれらの概念を使う分野で見られる定義です。

これらの定義の関係ですが、もっとも一般的なものは定義3で、定義2は定義3で与えられるものの具体的な表現の1つ、定義1は定義2または定義3で与えられるものについて2通りの成分表示をしたときに、それらの間に成立していなければならない関係式、というようになっています。

それぞれの定義にはメリットとデメリットがあります。

まず定義1ですが、あまり深く考えず目先の計算を機械的に実行することができる一方、テンソルの実体については一切言及せず、見かけの量である成分しか登場しません。当然、計算は出来ても何をしているのか意味はさっぱり分からないことから、誠実なユーザーほど「テンソルとは何なのか?」という根本的な疑問に苛まされることになります。また「2階のテンソルは行列」や「一般のテンソルは多次元配列」という誤解を生みやすいということもデメリットの一つです。

定義2は、テンソルの実体についてある程度は言及できるのですが、双対空間上で定義された多重線形汎関数としてテンソルを実現しなければならないことから「なぜ双対空間を考えなければならないのか?」という新たな疑問を抱えることになり、こちらも本質的な解決にはなりません。

最後に定義3ですが、テンソルの実体について最も明確かつシンプルに記述している優れた定義なのですが、見た目の抽象度の高さの為か、その定義がいったい何を言わんとしているのか趣旨を掴みかね、結局、多くの人は理解することを諦めてしまいます。ここで数学者が、その定義でどういった事象を汲み取ろうとしているのかを分かり易い言葉で解説してくれれば良いのですが、残念ながらそうしたサービス精神を持っている数学者はそう多くはありません*3

 

原因2:テンソル解析との関係

テンソルが使われる重要な応用分野としてテンソル解析があります。テンソルはそれ単独として説明されることは少なく、テンソル解析やその応用分野の中で説明されることが殆どです。そうした文脈でテンソルが説明される際、偏微分や \(dx\) といった記号が使われるのを良く目にします。しかしこれはテンソルテンソル場を混同している記述の典型であり、テンソルの説明としては明らかに不適切なものです*4テンソルは純粋に代数的な概念であり、微分演算とは全く関係ありません。

 

原因3:理解に必要なポイントを押さえた情報を見つけることが難しい

テンソルを理解するために必要なポイントは「テンソルとは何で、なぜテンソルという概念が必要となるのか、その必然性」です。残念なことに殆どの書籍が「テンソルとは何で」という点についてすら満足に説明することが出来ていない状況では、テンソルに対する理解が進むはずもありません。

 

今回はテンソルの概念を取り巻く(あまり好ましくない)状況について見てきましたが、こうした状況を少しでも改善するために、テンソルについては稿を改めて解説したいと思います。

 

17/01/29追記:読者の反応を見ていて、意図が伝わっていないと思われた注釈を修正し、またテンソルに関する良くある誤解についての説明を新たに補足しました。

17/02/11追記:テンソルについての解説を以下で行っていますので、併せてお読みいただければと思います。

*1:ここでいうモーメントとは確率変数のべき乗の期待値のことで、先述の慣性モーメントとは別物です。

*2:自分も学生の頃、随分悩まされました。

*3:数学者は元来、(基本的な学術上の価値観については他者と共有してはいるものの)内的動機に基づき自分の世界を突き詰めなければならない人達であり、そうした背景から教育の場面でも独力で正しい理解に到達することを相当程度要求されます。(自分もそうやって鍛えられました。)その意味で本質的に数学者はサービス精神とは無縁の生き物です。

*4:現代的な視点で述べれば、多様体上の微分積分法において「底空間=接空間」としたものがベクトル解析やテンソル解析である、ということになるのですが、この「底空間=接空間」という性質がテンソルテンソル場の話をごちゃごちゃにしてしまう原因になっています。当然、多様体上の微分積分法ではそうした事象は起こることはありません。