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理論と実践の狭間で漂流する数学趣味人の記録

テンソルとは何か、なぜテンソルという概念が必要となるのか

今回は「テンソルとは何か、なぜテンソルという概念が必要となるのか」について考えたいと思います。

予備的考察

テンソルとは何かという問いについて、身近な例である回転運動を素材にして考えていきたいと思います。高校や大学で物理を学んだ方であれば角運動量や力のモーメント等の言葉をご存じかもしれませんが、ここではそれらの定義を天下りに与えることなく、経験的な事実を手掛かりに定式化していきます*1

 はじめに状況設定をしましょう。回転軸から作用点までの位置ベクトルを r\in V とし、作用点に力 F\in W が掛かっているとします。てこの原理を思い出すと、回転に関する影響力は作用点までの距離と作用点に掛かる力の双方に比例しています。従ってこの影響力を \Phi(r,F) と表すとき、\Phi(r,F) は次の性質を満たすことが期待されます。

  1. \Phi(r_{1}+r_{2},F)=\Phi(r_{1},F)+\Phi(r_{2},F),
  2. \Phi(r,F_{1}+F_{2})=\Phi(r,F_{1})+\Phi(r,F_{2}),
  3. \Phi(\lambda r,F)=\Phi(r,\lambda F)=\lambda\Phi(r,F).

上記の性質1において \Phi(r_{1},F)\Phi(r_{2},F) の間で足し算が出来たり、性質3で \Phi(r,F) を定数倍したりしていますが、これらの演算が出来ることを担保するために \Phi(r,F)線型空間の元であることを要請します。そして \Phi(r,F) が属する線型空間U であるとき \Phi(r,F)\Phi_{U}(r,F) と書くことにします。また上記の3つの条件を双線型性といい、双線型性を満たす直積集合 V\times W 上の写像 \Phi を双線型写像と呼びます。

ところで \Phi_{U} は双線型写像であれば何でも構いません。また U線型空間であれば何でも構いません。つまり各 rF に対して考えうる \Phi_{U}(r,F) は無数に存在します。これら無数に存在する \Phi_{U}(r,F) の中から一つを選んで回転に関する影響力とする訳ですが、選ぶ指針が無いと何を選ぶかは人によってバラバラということになります。この様に選択に任意性*2がある状態は「現象に内在する属性を表現するものが物理量であり、それは現象のみから一意に定まるべきである」という原則的な立場からすれば定義として不十分であると言わざるを得ません。

そこで全ての \Phi_{U}(r,F) を代表するような特別な量(それを \kappa(r,F) としましょう)を探すことを考えます。\kappa(r,F) が全ての \Phi_{U}(r,F) の代表となるためには、全ての \Phi_{U}(r,F)\kappa(r,F) が共通する因子として含まれていなければなりません。これを数学的にどう表現するかですが、もし全ての \Phi_{U}(r,F)\kappa(r,F)線型写像 f_{U} によって

 \Phi _{U}(r,F) = f_{U} ( \kappa (r,F) )

のように分解することが出来るならば、\kappa(r,F) は全ての \Phi_{U}(r,F) に共通する因子であると言って良いのではないでしょうか。そして最後に「そもそもそのような特別な \kappa(r,F) は存在しているのか」という点についてですが、答えはもちろん「Yes」です。

 

テンソルの定義

これまでの議論を一般化して定理(および定義)としてまとめます。

定理 VW線型空間とする。このとき線型空間 T と双線型写像 \kappa:V \times W \to T の組 (T,\kappa) で次の性質を満たすものが同型を除き唯一つ存在する。

 (性質)任意の線型空間 U と任意の双線型写像 \Phi_{U}:V\times W\to U に対して

    \Phi_{U}=f_{U}\circ\kappa を満たす線型写像 f_{U}:T\to U が唯一つ存在する。

このとき組 (T,\kappa)VWテンソル積、T の元をテンソルと呼び、 TV\otimes W\kappa(v,w)v\otimes w と書く。また上記の(性質)をテンソル(V\otimes W,\kappa) の普遍性と呼ぶ。

 

証明については、代数学や少し進んだ線型代数学の書籍を探せばあるので、そちらをご参照下さい*3

以上、素朴な動機から説き起こしてテンソルの定義まで辿り着くことが出来ました。そこで改めて色々な分野でテンソルが使われる理由について、上記の議論を振り返りつつ考えてみたいと思います。

物理学では、既知の物理量を複数組み合わせて新しい物理量を考えたいと思う場面は良くあります。そしてその新しい物理量は、既知の物理量の変化に対して線型で変化する、という状況も少なからずあります*4。こうした状況下で使われる手法がテンソル積であり、テンソル積を使って構成されたものがテンソルということになります。そしてその最大の特徴は、複数の物理量を組み合わせて新たな物理量を作る際に生じてしまう任意性を排除する仕組みが組み込まれているという点にあります。この仕組みがあることで、作り出した量を安心して物理量として取り扱うことができます。

こうした事情は数学、例えば幾何学においても全く同様です。現代的な微分幾何学の教科書を見ると、どの教科書も微分形式やテンソル場の話が必ず書いてあります。それは幾何学で取り扱う量は(物理学における物理量同様に)幾何学的実在に内在する属性を表現するものであり、それは幾何学的実在のみから(同型を除いて)一意に決まらなければならないものだからです*5

 

以上、テンソルとは何か、なぜテンソルという概念が必要となるのかについて見てきました。本質的に重要なこのテーマに向き合っている資料が、書籍・ネットを問わず殆ど見当たらない*6ため記事にしてみました。この記事がテンソルの理解で困っている多くの人々の助けになることを願っています。

*1:角運動量や力のモーメントの定義をご存じの方に向けた注意です。通常、角運動量や力のモーメントは交代性を満たすベクトル積と呼ばれる演算を使って定義されますが、ここでは角運動量やモーメントそのものの定義を与えることが主眼ではないので交代性は考慮しません。なお3次元のベクトル積はテンソル積を交代化して得られるウェッジ積とホッジ作用素で書き表すことができます。

*2:人為性と言い換えてもいいかもしれません。

*3:ただし代数学の書籍では線型空間ではなく、それらを一般化した環上の加群で証明されているかもしれません。

*4:例えば先に挙げた力のモーメントはそうした例の一つです。

*5:学生時代、何冊か微分幾何学の教科書を読みましたが、何れの教科書も何の脈絡も無く唐突に微分形式やテンソル場の話をされることが多く、理由が分からないまま既成事実としてテンソルが使われているという状況にずっとモヤモヤしていました。

*6:過去、散々調べましたが自分には見つけることが出来ませんでした。結果、随分と長い期間、悶々とした時間を過ごす羽目になりました。